岩泉8人展 追加地図 ― 2011/06/11 10時32分
高田松原の松 ― 2011/06/11 10時35分
昨日、陸前高田の松を見に行ってきた。
松と言っても津波に流された赤松、黒松です。
薪になるという報道で、それ以外にないか活用はできないのだろうかと思い、木工仲間3人で高田に行ってみた。
景勝地高田松原の松の木は200年もの300年物も有ると言います。
実際昨日薪の中から頂いた松はとても年輪がこまかでした。
私も赤松を使ってかぐなど作りますが、私の使用する松は山に植林された松の伐採期にある物を活用しています。高田の松に比べたら年輪の間隔は明らかに広い。高田の松は海風にさらされ厳しい環境の元で時間を掛け成長した物だと思う。
今回NPOさんが入り薪の利用選択した中にはきっともっと他の活用を考えた中の選択と思います。薪も活用方法の一つだと思います。私自身薪ストーブを使ってます。松ですから火力もありとても暖かいのですが、木にはそれぞれ用とが有ります。暖を取るのは最後の手段で良いかとお思います。
そこで何とか高田の松を形に残し、地元の方に残し使ってもらえないものだろうか?建築材には残念ながら長さが足りないかもしれない。又津波によりなぎ倒されたので丸太の中に割れが入ってるものも見られました。塩分はさほど問題にならないと思う。
形にして残す
松を使って「箸」を作ろうという話も出てます。それも一つの動きとして良い事と思います。若干消耗品である事が心配です。
現地の松はテーブルの天板としても良いものがとれそうです。天然物の素材がすばらしいので、是非赤松を無駄なく活用できる事を望みます。私は家具も作ります、スツールでも椅子でも小さなテーブル、棚他なんにでも活用できます。
そのためには、あの赤松の丸太を製材し板にして保存さえすればい。いつでも加工して形のあるものに残せるのです。
高田松原の松の木を生活に取り入れ世代を超えて伝える事もできます。
「板にさえしておけば」使いたいときに使える。学校が落ち着き子どもたちの工作にも使う事ができます。地元の人たちがいつか「高田の松」を使う事ができる
高田松原の松を板にして保存する事大事です
地元の製材所、村上製材さんともお話をしてきました我々の思いは伝えてきました。地元の製材さんは仮設への製材で忙しいとの事、内地の製材所で製材をしなければならないでしょう。
私も高田の松を手に入れたい。なんとかわずかでも手に入れ灰にする事から守りたい。それで加工し地元陸前高田へ戻して使ってもらいたいと考えます。
そのためには丸太を手に入れ製材まで運びこちらまでさらに運ばなければならない。お金がかかる。
せめて自分のできる範囲でやるしかないのかも知れないが、「高田の松」灰にできない。
本当は直ぐにでもやらなければならない、もう赤松に「あい」が入るかも知れない、美しい白木の肌に青い色が所々入る事があるのです。それがこれからの梅雨の時期ですですから急ぎたい。
「高田松原の松」の使命は形を変えて高田市民と暮らしてもらう事。 それは津波の教訓を伝えるものでもある。
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